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東京高等裁判所 昭和62年(行コ)47号 判決

控訴人 中野労働基準監督署長

代理人 斎藤隆 中島和美 ほか四名

被控訴人 三田博子

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり付加、訂正、削除するほかは、原判決の事実適示中「第二 当事者の主張」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決三枚目表五行目「及び助義」から同六行目「くも膜下出血であること」までを削り、同行目「右急性心不全の」から同七行目末尾「断定できない。」までを「助義の直接の死因である右急性心不全の原因がくも膜下出血(脳動脈瘤の破裂)であることは争わない。」に改める。

二  同三枚目裏四行目「高血圧ないし」、同五、六行目「脳出血ないしは」をそれぞれを削る。

三  同七枚目表一行目から同五行目まで(2の記載全部)を以下のとおり改める。

「控訴人の病状の転帰、発症から死亡までの時間的経過、出血の態様等からして、椎骨動脈あるいは脳底動脈の動脈瘤が破裂し、脳幹部に急激な障害を受けたことが推認されるから、くも膜下出血に基づく急性心不全を、その死因と考えるのが妥当である。」

四  同七枚目表七行目から同一〇枚目表二行目まで(「3 業務起因性の有無」のうち、(一)及び(二)(1)の記載全部)を、以下のとおり改める。

「(一) 脳動脈瘤の成因及び破裂の原因について

(1)  脳動脈瘤の成因については、医学界においてもいまだ定説はないが、従来から先天性説が有力である。すなわち、胎生期脳血管網が成人の脳血管に移行する過程で脳血管の数が減少し最終的には消失する動脈幹から脳動脈瘤が発生するという見解である(なお、後天的な脳動脈瘤を認める見解も、ほとんどの脳動脈瘤は先天的なものであることを前提とし、破裂する脳動脈瘤は先天性の嚢状のものが多いとしているのである。)。

そして、加齢にしたがい動脈硬化がともなってくると、動脈瘤の壁が弱く、脆くなっていくのであって、その過程において、血管や動脈瘤の壁の中で小出血が起こり、その部分が更に脆くなって瘤の壁の一部が大きくなり、それを繰り返すことによって、数珠状に大きくなっていったり、動脈瘤そのものが大きくなっていったりする。そして、一方では、血流及び血管内圧が瘤の形成に影響するという面も否定できないのであって、これにより動脈瘤に内圧がかかり、脳動脈瘤壁の弱い部分が徐々に大きくなって行くこととなる。

このように、脳動脈瘤は、先天的に形成された後、日常生活の中で、動脈硬化あるいは血流、血圧の影響等の内的要因により、瘤の壁が脆弱化し、大きくなっていくのである。

(2)  ところで脳動脈瘤に血圧ないし血管内圧の増大が影響を及ぼすことは否定できないが、人間の日常生活の中で、右血圧ないし血管内圧は絶えず変動しているのである。その変動の影響を受け、血管壁は絶えず圧にさらされることによって、脳動脈瘤もまた次第に大きくなり、瘤を履う血管の壁は脆弱化していくことになる。

労働に起因する肉体的負荷、精神的ストレスが一過的に血圧を変動させる要因であることを肯定したとしても、それが脳動脈瘤の形成及び進展の直接あるいは主要な原因というわけではなく、したがって、助義の従事していた業務全般については勿論、本件のような間知ブロックの手降ろし作業が、脳動脈瘤の形成に主要な原因として寄与していると推認することはできない。

(3)  脳動脈瘤破裂の原因については諸説があり、いまだ定説というべきものはないが、もっとも基本的な要因として考えられるのは、血圧の関与と加齢現象からの脳血管及び脳動脈瘤自体の脆弱化である。

もともと、脳動脈瘤ないしその壁は、普通の血管と異なって構造的に弱い(脳動脈瘤に中膜・筋層が欠損していることが多いことからも明らかである。)。それに、前記のような要因が重なり、さらに瘤の壁が脆弱化し、それに血圧ないし血管内圧が影響し、瘤が破裂するに至る。脳動脈瘤が極めて脆くなっていれば、その壁には絶えず圧がかかっているのであるから、特別の圧の上昇がなくとも破裂することは十分に考えられる。

ロックスレイの統計結果(脳動脈瘤の破裂の六八パーセントは外的条件等に特別の変化のないときに生じている。)、マコーミック(血圧の一過性上昇による脳動脈瘤破裂の可能性そのものを否定)の見解等からしても、脳動脈瘤破裂の原因として、血圧ないし血管内圧の一過性の亢進を考えることには慎重であるべきである。

なお、脳内の血圧は、体血圧の変動に連動するのではなく、いわゆる自動調節機能が働きその影響を弱めていることも看過すべきでない。

(二) 助義の業務とくも膜下出血との間の相当因果関係

(1)  くも膜下出血が業務に起因することの明らかな疾病に該当すると判断されるためには、その発症に当たり、当該業務が血管病変等をその自然的増悪を越えて急激に増悪させうる負荷であると判断され、当該発症が業務に起因することが明らかであると認められることを要するのである。したがって、これが肯定されるのは、当該業務が、急激な血圧変動を起こし、脳動脈瘤という血管病変をその自然的経過を越えて急激に著しく増悪させ得る、いわゆる過重負荷として医学経験則上評価される場合である。脳動脈瘤の破裂と業務との因果関係を判断するについては、脳動脈瘤の進展及び破裂に関する臨床医学的知見に基づき、その有害分子となり得るものを具体的・個別的に、かつ定量的に厳密に分析し、果たして助義が発症時に従事していた労働が脳動脈瘤破裂の原因であると医学的に評価し得るか否かを慎重に考察して判断すべきである。労働作業中に発症したという結果を前提とし、労働が一般的に血圧亢進の原因として有害分子となり得る、したがって発症は労働によると短絡的に判断すべきでないことはいうまでもない。それが自然経過を越えて発症の明らかな原因となっているということが医学的観点から見ても当然であると判断されない限り、労働が発症の有力原因となったと肯認することはできないのである。

いうまでもなく、労働基準法七五条二項、同法施行規則三五条の別表第一の二・九号所定の「その他業務に起因することの明らかな疾病」といいうるためには、業務と疾病との間に相当因果関係が認められることが必要であり、業務が当該疾病の発病に対して最も有力な原因となっていると医学的に認められる場合に右の相当因果関係を肯定すべきである。これを本件に則してみれば、くも膜下出血、脳動脈瘤破裂が明らかに自然的経過を越えて発症したと医学的に認められる場合とは、急激な血圧変動により血管病変が急激に著しく増悪して発症する場合であり、この急激な血圧変動が業務によって引き起こされ、血管病変をその自然的経過を越えて急激に著しく増悪して発症するに至らせた場合には、その発症に当たって業務が相対的に有力であると判断され、業務に起因することが明らかに認められるのである。したがって、業務が当該発症に対して他の要因より有力とはいえない場合(単なる機会原因に過ぎない場合)、あるいは、発症と業務との医学的因果関係が明らかにされ得ないような場合において、因果関係を肯認することは困難である。」

五  同一〇枚目裏末行「ものである。」の次に「また、右作業は、四七・五キログラムの間知ブロックを持ち上げたり、抱えて運ぶ作業は含んでいない。」を、同一一枚目表一〇行目「事柄ではない。」の次に「また、当日の助義の作業が平素のそれと格別異なっていたということもない。」をそれぞれ加え、同末行の次に改行して以下のとおり加える。

「助義のそれまでの作業現場は長野県北部であって、現場までの往復の間、狭路、坂路、屈曲した路を通ることが多かった。そして、同人はそれまでにもかなりの回数間知ブロックの手降ろし作業をしてきた。しかもクレーンを使用できない、狭い道路での作業もままあり、したがって、他の車両との擦れ違いが困難であるという事態もかなりの回数あったろうと推測される。したがって、助義はそのような作業全体に習熟していたであろうと推認されるのである。

いずれにしても、当日の助義の作業が、平素より密度の高い業務または平常より過重な負担のかかる業務であるといえないことは明らかである。」

六  同一二枚目裏一一行目「同2」から同行目末尾「である。」までを「同2は認める。」に改める。

七  同一九枚目裏九行目「助義は」から同一〇行目「相当である。」までを「助義の当日の作業とくも膜下出血との関係は次のとおりである。」に改める。

八  同二五枚目表八行目の次に改行して以下のとおり加える。

「控訴人は、業務が当該疾病の発症に対し、最も有力な役割を果たしたと医学的に認め得る場合に、業務と右発症との間に相当因果関係があるとすべきものと主張する。しかし、仮に本件の場合、右業務が『絶対的に有力な原因』とまで認められないとしても、疾病の発症が業務に起因するというためには、発症の原因のうち業務が相対的に有力な原因であることを要し、かつ、それで足りるというべきである。相対的なものである以上、いうまでもなく、他に競合(共働)する原因があり、それが同じく相対的に有力な原因であったとしても、業務起因性があると認定することを妨げないと解せられる。そして、右認定には『急激な増悪』、『災害性』も関係がない。また職業性疾病は、そもそもその特殊性からして、医学的因果関係の立証は困難である。本件のくも膜下出血は循環器性の疾患であるが、そのために業務起因性に『明らかな』関連性を要求しているものとは考えられない。医学的に厳格な認定が要求されると、ほとんどの労災事故は、業務と疾病との間に因果関係がないことになる。くも膜下出血の事故は全て労災事故とはならないことになろう。助義の従事していた業務が、血圧を著しく亢進させる重労働であって、その亢進が基礎疾病である動脈瘤を悪化させ、これを破裂させたのである。右は自然の増悪の経過とは異なっているのであって、ここに本件業務が関係し、右破裂の有力な原因となっていることは明らかである。」

第三証拠関係 <略>

理由

一  当裁判所も当審における証拠調べの結果を勘案しても、被控訴人らの各請求は正当としてこれを認容すべきものと判断する。その理由は次のとおり、付加、訂正、削除するほかは、原判決の理由説示のとおりであるからこれを引用する。

1  原判決二六枚目裏三行目末尾に以下のとおり加える。

「なお、医学的各所見から推測・診断される助義の死因として、脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血に基づく急性心不全を考えるのが妥当であることは、当審において当事者間に争いがなくなったから、以下助義の死因は右くも膜下出血基づく急性心不全であることを前提として検討を進めることにする。」

2  同二七枚目表七行目「各一ないし九、」の次に「<証拠略>」を、同行目「証人西原康裕」の次に「、当審証人塩原隆造」を、同八行目「証言」の前に「各」を、同行目「本人尋問の結果」の次に「、当審における検証の結果」をそれぞれ加える。

3  同二八枚目表七行目「それぞれなし、」の次に「クレーン車が導入された昭和四七年以降は、右積込みは全て、また、」を、同八行目「原則として」の次に「、いずれも」を、同一〇行目末尾「こととなる。」の次に「なお、昭和五七年以降は荷降ろしもすべてクレーンで行われるようになり、手作業は全くなくなった。」を、同末行「四七・五キログラム」の次に「もしくは若干それを上回る」をそれぞれ加える。

4  同二八枚目裏末行末尾「一列に並べる。」の次に「ブロックを降ろす際には、トラックの荷台から地上まで、終始手で支え腰をかがめて地面に置くという作業をするのではなく、たとえばブロックをトラックの荷台の直近に降ろす場合には、ブロックが地面(または既に地上に積まれたブロック)と接触して破損する恐れがないかぎり、途中でブロックから手を放し、落とす形になっても構わない。」を加える。

5  同二九枚目裏九行目「手作業は」の次に「重いもので四七・五キログラム以上もある間知ブロックをトラックの荷台の上を移動(荷台面を滑らせる動作を含む。)させるのみならず、荷台の高さからこれを手前に移動させたうえ、地上に降ろすさいには、一時的ではあっても右ブロックを抱えて支える動作も含み、まして、本件の助義の場合のようにブロックを積む場所が舗装された道路か右道路の縁石の上であるような場合には、荷台の高さからこれを落とすことはできず、ブロックを抱えてかがみこみ、これを降ろすという作業を含むことになり、当時であってもそうした作業にはクレーンの使用が通常であって、労働の種別とすると」を加える。

6  同二九枚目裏一二行目末尾「者もいる。」の次に改行して以下のとおり加える。

「(なお、<証拠略>には、助義の従事していたような作業は、当初は重労働であるが、慣れるにつれて要領を覚え作業が楽になり、ある程度の作業回数をこなすと、さほど重労働ではなくなるとの趣旨の記載や供述部分がある。しかし、そもそも四七・五キログラムもしくはこれを上回る重量の間知ブロックを持ち上げて、たとえ短い距離にしろ移動させ、積み降ろすという作業を一〇〇回以上も繰り返すということは、一般的にいって重労働に属すると認めざるを得ない。経験によって当初より作業が楽になったからといって、基本的に本件のような作業が重労働に属することは否めないというべきである。)」を加える。

7  同三二枚目表一一、一二行目「荷台の上で」の次に「、その大腿部付近が」を、同裏一行目「午後二時頃、」の次に「脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血に基づく」を加え、同行目の「(急性心不全」から同三行目末尾「る。)」まで(括弧の記載全部)を削除する。

8  同三二枚目裏七行目「同医師は、」から同八、九行目「診断を下した。」までを削除する。

9  同三三枚目表三行目冒頭から同三四枚目表一二行目末尾まで(2の記載全部)を削除する。

10  同三四枚目表末行冒頭の「3」を「2」に、同行目「本件疾病」を「助義の直接の死因である急性心不全の原因である脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血(以下『本件疾病』という。)」にそれぞれ改め、同裏二行目末尾「第一六号証、」の次に「<証拠略>」を、同三行目「乙第二〇号証」の次に「<証拠略>」を、同行目「田尻俊一郎」の次に「<証拠略>」を、それぞれ加え、同四行目末尾「助義の直接」から同末行末尾「認められる。」までを以下のとおり改める。「本件疾病は、脳動脈(椎骨または脳底)の血管の分岐点付近に生じた瘤が破裂したものと推認されるところ、右のような脳動脈瘤の成因は、四〇才以降の年齢に多発する脳動脈瘤についても、なお脳動脈の分岐点付近に血管中の中膜の欠如等で先天的に弱い構造になっている部分があると、そこに血液の流れが絶えず衝突し、圧力が加わる等の影響により瘤が生成するとするなど、先天的な要因が基底に存すると考えられているが、しかし反面加齢にともなう動脈の硬化、血管の脆弱化、高血圧等の影響を無視する説は少なく、特に近年、右中膜等の存否とは関係なく、高血圧症に代表される血管障害因子(加齢等による血管の脆弱化も当然含まれる。)が脳動脈瘤の発生、増大因子となるとの後天説も有力であること、いずれにしてもいったん発生した脳動脈瘤には、老齢化による動脈硬化及び血流・血管内圧の増大による瘤(血管)の壁の変化・脆弱化、高血圧(血圧そのものの変動)等の因子がいずれもこれを増悪させ、破裂させる方向に働くこと、脳動脈瘤の壁の血管が極めて脆くなったりするとわずかの刺激もしくはこれという刺激がなくとも、破裂する場合もあると考えられていること、しかし、もとより肉体的労働、精神的緊張(ストレス)等に起因する一過性の血圧亢進も、脳動脈瘤の増悪、破裂の原因となること(マコーミックはこれを否定するが、少数説のようである。)、もっとも現在でも、その発生部位が脳動脈であり、しかも瘤自体が非常に小さいことから、事前に脳動脈瘤を発見することも難しいうえ、ましてその脆弱化、破裂の危険度等を測定し、これを判定することはほとんど不可能であり、したがって事前の治療をすることは難しく、脳内に出血してから、その診断・治療(手術的)がなされる場合がほとんどであること、助義の場合も普段の血圧はやや高かったにせよ、およそ脳動脈瘤の存在を予知できるような兆候はなかったこと、そもそも脳動脈瘤の発生、進展、破裂にいたる経緯や、発生したもののうちどのくらいのものが破裂するに至るのか等については解明されていない部分も多く、また専門の医学者の見解の分かれているところでもあること、以上の事実が認められる。」

11  同三五枚目表一行目「(特発性くも膜下出血)」を削除し、同七、八行目「解すべきである。」の次に以下のとおり加える。

「そして、業務が相対的に有力な原因であったかどうかは、医学的知見も一つの有力な資料として、本件疾病の発生に関連する一切の事情を考慮し、経験則上当該業務が、自然的経過を越えて、本件疾病を発症させる危険が高いと認められるかどうかによって判断すべきである。」

12  同三五枚目表一〇行目「経過、」の次に「通常従事していた作業形態、手降ろし作業の回数、その他本件当日の作業、これを取り巻く状況、」を、同行目「本件疾病の特質に」の次に「<証拠略>、」を、同行目「証人田尻俊一郎」の次に、「、当審証人上畑鉄之丞」を、同一一、一二行目「手降ろし作業は」の次に「一般に予測されるほどには間知ブロックを運搬するという作業は含んでいないものの、これを支え降ろす作業を中心に考察しても、」をそれぞれ加え、同裏三行目「熟練や慣行化は見られず」を「習熟の程度はそれほど高かったものとは考えられず」に、同六、七行目「平常より密度の高い作業と平常より過重な負担のかかる」を「特に助義の年齢も考慮すると、一般的に見て過重な負担のかかる」に、同七行目「手降ろし法は」を「手降ろし作業は」にそれぞれ改め、同八行目「たりうること」の次に「、特に本件助義の場合は、トラック荷台の山側に積まれた間知ブロック六二個を降ろしたあと、谷側に積んであったブロックを、荷台上山側まで抱えて運び、二個は降ろしたあと三個目を運び降ろそうとしていた、すなわちそれまで以上に重い労働に従事し始めた直後というのであるから、従前の労働による一時的亢進に加えて、さらに右血圧の一時的亢進があったこと」を、同行目「認められるから、」の次に「それまで断続的に行われていた間知ブロックの手降ろし作業による一過性の血圧亢進により、日常生活及びその他の通常の作業中に生ずる血圧の変動等による自然的経過を越えて、かねて助義に形成されていた脳動脈瘤の壁の変化ないし脆弱化の増悪が生じていたところ、さらに」を、同一〇行目「形成」の次に「、増悪」をそれぞれ加え、同一一行目「至ったもので」を「至ったことが認められる。」に改める。

13  三六枚目表一行目「助義の」の次に「断続的に行われた間知ブロックの手降ろし作業及び」を、同行目「業務の遂行が、」の次に「少なくともその自然的経過を越えて、脳動脈瘤を増悪させ、これを破裂させる有力な原因を与えたものであり、」をそれぞれ加える。

14  同三六枚目表二行目の次に改行して以下のとおり加える。

「<証拠略>には、臨床的に見て脳動脈瘤破裂の発症が一過性の血圧上昇がある場合にかぎらず、また脳圧については自動調節機能があり、血圧の上昇がそのまま脳圧の同程度の上昇をもたらすものではない(<証拠略>)、助義の本件事故発生時の作業はそれほど重労働とは思えないなどと供述する部分がある。最後の部分は同証人の印象(しかも助義の倒れたときの状況など、一部は誤った認識に基づいている。)に過ぎないが、同証人自身右作業で血圧(脳圧についての調整機能を考慮しても)の一時的亢進のあること、またそれが脳動脈瘤を破裂させる可能性のあることは争わず、ただ、右作業に従事していなくとも脳動脈瘤の破裂が発症した可能性について言及したもので、必ずしも前記認定を履すほどのものではない(自然的経過によっても発症した可能性を全く否定できるわけではないが、しかし、前記認定の諸事情からすると、なお業務が相対的に有力な原因であると認めるのが相当である。)と解せられる。」

15  同三六枚目表八行目「であるが、」の次に「助義の老化及び日常生活等における血圧の変動によりその脳動脈瘤の壁が極めて脆弱化し、自然的経過もしくはそれに準ずるような刺激でも破裂するに至る程度になっていたと考えるよりも、前認定の本件疾病の発症するまでの作業形態からすると、前記業務による血圧の一時的な亢進が動脈瘤の増悪、破裂をもたらし、本件疾病を発症させたと認めるのが相当であるから、」を加える。

二  よって、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することにし、控訴費用の負担について行訴法七条、民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 越山安久 鈴木經夫 浅野正樹)

【参考】第一審(長野地裁昭和五七年(行ウ)第五号 昭和六二年四月二三日判決)

主文

一 被告が昭和五五年五月二九日付で原告に対してした労働者災害補償保険法に基く遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとの処分を取消す。

二 訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

主文同旨

二 請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一 請求原因

1 原告の亡夫三田助義(昭和一二年二月六日生、以下「助義」という。)は、昭和四九年五月七日から本店を長野県須坂市大字野辺一三九三番地一に置く旭運輸株式会社(以下「旭運輸」という。)に運搬作業員として雇用されて就労していたところ、昭和五四年一一月一二日午後一時五〇分頃、長野県飯山市大字旭四二一五番地附近路上(以下「本件現場」という。)において、六・五トントラツクの荷台から一個四七・五キログラムの重量のある間知ブロツクを降ろす作業に従事中、倒れ、同日午後二時頃、くも膜下出血に基づく急性心不全により死亡した。

2 原告は、助義の妻で、助義死亡当時その収入によつて生計を維持していたものである。原告は、助義の死亡が業務上の事由によるものであるとして、被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)一二条の八第一項に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告は、昭和五五年五月二九日、助義の死亡は業務上のものではないとして右遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとの処分(以下「本件不支給処分」という。)をなした。

3 しかしながら、助義の死亡は業務上のものであるから、本件不支給処分は違法で取消されるべきものである。

よつて、原告は、被告に対し、本件不支給処分の取消を求める。

二 請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実中、助義の倒れた時刻が午後一時五〇分頃であること及び助義の直接の死因たる急性心不全の原因がくも膜下出血であることは知らない。右急性心不全の原因は脳出血とくも膜下出血のいずれとも断定できない。その余は認める。

2 同2の事実は認める。

3 同3の主張は争う。

三 被告の主張

助義が発症当日従事していた業務は、発症前五年間行つてきた業務と同一内容のものであるから、従来の業務との比較において著しく過激過重な労働ではなかつたし、業務内容自体においても、過激過重な労働で助義に強度の肉体的、精神的負担があつたとは認められず、本件は助義の体質的素因、日常生活上の素因等が競合し、高血圧ないし脳動脈瘤が自然的に増進増悪した結果、偶々業務中という機会に脳出血ないしはくも膜下出血が発症して急性心不全により死亡したと認めるべき事案である。よつて、助義の疾病には業務起因性が認められないから、本件不支給処分は適法である。その理由は以下のとおりである。

1 発症に至るまでの経過

(一) 助義の職歴

(1) 助義は、最終学歴が昭和二七年三月小布施中学校卒業で、昭和三〇年一二月二〇日に大型自動車免許(第一種免許)を取得しており、昭和三七年三月一日から同年五月一一日までの二か月余を北信陸送株式会社において運転助手として就労している。

同人は、昭和四九年五月七日旭運輸に雇用されたが、旭運輸は、一般貨物自動車運送事業を行つている会社で、昭和四五年一二月一二日付けをもつて新潟陸運局長より事業区域を「長野県」とする営業免許を受け、それ以降特定の企業の貨物を専属で運搬することとし、一定のトラツクを配車している。

(2) 助義は、昭和四九年五月七日以降同年一一月下旬までの約七か月間二トントラツクを運転して明治乳業株式会社長野工場のアイスクリーム配達業務に従事していたが、昭和四九年一一月下旬から死亡した昭和五四年一一月一二日(当時四二歳)までの概ね四年一一か月の間、旭プレコン株式会社(以下「旭プレコン」という。)に派遣されて、クレーン付きの六・五トントラツクを運転し、間知ブロツク、U字溝などの運搬業務に従事していた。

(3) 右のとおり、助義は、トラツクの運転歴二〇余年を有し、運転業務には熟練していたものであつて、運転労働に職業として適応してこれに順応していたものである。

(二) 旭運輸における業務内容

(1) 助義は、昭和四九年一一月下旬(当時三七歳)から旭プレコンに派遣され、発症死亡当日の昭和五四年一一月一二日まで五年間にわたつて、旭プレコンの製品である間知ブロツク、U字溝などを、主として北信地方の土木工事現場近辺まで配達運搬する業務に従事していた。本件被災の際行つていた、間知ブロツクの手降ろし作業は、頻繁に行われたものではないが、昭和五四年においては毎月数回行われており、これら間知ブロツクの手降ろし作業を含む運搬配達が、助義の日常の業務であつて、発症時の業務は、この五年間続けられた業務と何ら異るものではなく、全く同一のものであつた。

(2) そして、助義の業務内容は、後述の同人の勤務状況とも併せ考えれば、肉体的、精神的に過重なものであつたとは到底考えられない。

(三) 旭運輸における勤務状況

(1) 助義は、昭和五四年一月から同年一一月一二日までの間暦日三一六日のうち、公休を五八日、年次有給休暇を六日とつており、出勤は二五二日である。

また、時間外労働については、右二五二日のうち二時間を超過するもの二日、二時間以内が四日、一時間三〇分以内は八日、一時間以内が二七日、三〇分以内は九二日であつた。

(2) 右の勤務状況から明らかなように、助義の勤務は、人間にとつて生理的に自然な時間帯に毎日規則正しく行われ、大きな超過勤務もなく、休日休暇は適正に与えられており、労働の内容も、肉体的、精神的に過重な負担となるようなものであつたとは認められない。そして、後に(四)でみるように、助義は大変健康で、本件発症の当日まで何らかの疲労を蓄積させていたような状況は全くこれを窺うことができない。

(四) 健康状態と日常生活

(1) 発症八か月前の昭和五四年三月二七日に行われた助義の定期健康診断によると、「体格栄養良好、稍々肥満、尿所見なし、胸部エツクス線検査で軽度の心肥大を認める。血圧測定値は一六二―九四作業直後との事(本人は今迄血圧は高いと言われたことはないと言う。)その他聴打診上異常を認めない。亦自覚症状全くなし、作業時並びに作業直後の心悸亢進もない。以上の所見より平常の業務(運転業務)に支障あるとは認められない。」とされ、また、日常生活をみると、私病(腹痛、頭痛)などの欠勤は入社以来なく、非常に健康で仕事が「きつい」とか「つらい」とか訴えたことはなく、食事は好き嫌いは全くなく、食欲は常に旺盛で、酒は晩酌として毎日一合五勺位い飲み、タバコは一日約一箱(わかば二〇本入)喫煙していたというものである。

(2) これらの状況からは、日常業務が助義にストレスを生じさせ、その心身に疲労を蓄積させていた様子は全く窺うことができない。

反面、助義は、例えば高血圧、肥満、飲酒習慣、喫煙習慣等の脳血管障害のリスクフアクター(危険因子)といわれるものを数多く有していたということができる。

2 死亡原因

助義の死亡原因がくも膜下出血であつた可能性は否定できないが、本件では確実な診断方法である血管撮影や解剖は行われていないから、脳出血あるいはくも膜下出血のいずれであるか断定することはできず、いずれの可能性もあるとするのが穏当である。

3 業務起因性の有無

(一) 助義の業務と脳出血との間の相当因果関係

助義の死因が脳出血であつた場合には、この脳出血は、高血圧性脳出血であつたと考えるのが妥当である。高血圧性脳出血の直接原因は、一般に脳内小動脈の血漿性動脈壊死、又はそれに起因した脳内小動脈瘤の破裂とされている。そして、脳の小動脈瘤の発生には高血圧及びそれに付随する脳動脈硬化や加令が重要な役割を演じている。このように、高血圧性脳出血は、基本的には本人の内的素因に基づいて発症する疾病であると理解すべきものである。

しかるところ、助義本人には、脳血管障害に対するリスクフアクターとして、前述のとおり、高血圧という基礎疾患、肥満、飲酒習慣、喫煙習慣が認められるのである。他方、業務の内容についてみてみると、通常、仕事上のリスクフアクターとして、長時間労働、深夜労働、休日のないこと、仕事時間が不規則なこと、出張が多いことなどが挙げられているが、これらの諸点に照らしてみると、助義の勤務状況はきわめて良好な状況下にあつたものと認められる(前記1の(三)参照)。また、労働の内容(強度)も、肉体的、精神的に過重なものではなかつたと認められ、発症当日の仕事の内容も従来の内容と全く同一のものであつた(前記1の(二))。加えて、同人の健康状態は、食事の好き嫌いは全くなく、食欲は常に旺盛で、私病(腹痛、頭痛など)での欠勤もなく、体を動かすことが好きで、ほぼ毎日晩酌をし、疲労が重なつている様子は全くなかつたのであるから、一口で言つて同人は終始大変健康な人であつたといえる(前記1の(四))。

以上によれば、助義が発症当日従事していた業務は従来から五年間にわたつて行つてきた業務と全く同一内容のものであつて、その従来の業務に比して著しく過激過重なものでなかつたのはもとより、一般的にみても過激過重なものではなく、強度の精神的、肉体的負担があつたものとは到底考えられない。したがつて、当日助義が発症した脳出血は、同人の体質的素因、日常生活上の素因が競合して高血圧症が自然に増進増悪した結果、たまたま業務遂行中という機会に発症したものと解するのが妥当である。

なお、同人の死因が非高血圧性脳出血であつたとしても、同人の業務は右のようなものであつたから、やはり業務起因性が認められないのは当然である。

(二) 助義の業務とくも膜下出血との間の相当因果関係

(1) 特発性くも膜下出血の原因は、ほとんどが脳動脈瘤の破裂であるが、重要なことは、脳動脈瘤は先天的なものと考えられていることである。脳動脈瘤の破裂原因が血圧昂進であるかとの点については、高血圧症の関与について諸説があつて一定しないし、一過性血圧上昇による動脈瘤破裂の可能性についても諸説いろいろである。また、有名なロツクスレイの調査によれば、約三分の一が睡眠中に起こつており、更に特別な外的ストレスのない状況下で約三分の一が起こつていて、特発性くも膜下出血が一日のうちいかなる時間にもアトランダムに起こり、また外的ストレスとの間に特別な相関のないことを示唆している。

しかし、血圧の昂進が脳動脈瘤の形成、進展、破裂の原因となるとの考え方もあるので、この点に関連して述べる。血圧は種々の要因によつて変動するものであるが、季節によつても日によつても時刻によつても変動している。また種々の活動、あるいは刺激、ストレスによつても変動するものである(興奮、排便、性交、せき、外傷、排尿なども要因となるものである。)。労働によるストレスは人間に対して働くごく一部のストレスにすぎず、人間は常に多種多様のストレスに取囲まれて生活しているといえる。しかも、一定の刺激は、人間の生命維持にとつて不可欠であるし、そもそも血圧も全く同様である。したがつて、特に過激な業務に従事するということがなくても、脳動脈瘤が日常生活の中で自然に進展破裂する可能性は十分存在するのである。よつて、このような場合において、業務起因性を肯定するためには、やはり特異な災害的要因を必要とすると解さなければならない。しかし、本件においては、前記(一)でみたようにそのような災害的要因があつたとは認められないし、従来からの業務も強度の精神的、肉体的負担を与えるようなものであつたとは到底考えられない。

(2) 原告は、後記五において、助義の日常の労働及び発症当日の労働が血圧昂進をもたらし、くも膜下出血を発症させたと主張している。

まず、助義の日常の運転労働についてみると、運転労働が一定の精神的緊張を強いられる労働であることは当然であるが、助義の行つていた運転労働は一般の運転労働に比較して格別強いストレスを受けるようなものではなかつた。すなわち、運転するのは常に昼間であり、走行距離も多くなく、山間走行、狭路走行が多いといつても都市部の走行に比較してストレスが多いかどうか疑問である。またタクシーの運転手が乗客を運ぶのに対し、助義が運んでいたのは物であるから、精神的な負担は軽いと言えるし、長時間運転席に座り続けということもない。しかも、同人は、長い運転歴、運転手歴を有しており、運転業務に熟練し、技術に優れていたものと考えられる。

次に、原告は、アウトリガー、玉掛けを問題にしているところ、それに対し運転手として細心の注意を払わなければならないことは当然であろうが、取立てて言う程のこととは思われない。

また、ブロツクなどの手降し作業は、たしかに筋肉労働の性格を有するものであるが、習熟により、無駄な力を使わず、血圧、呼吸をあまり乱さず、疲労も残さないで行うことができるようになるものである。特に、助義は筋肉質の体格で体力もあり、時に大工仕事などもしていたというのであるから、同人にとつてこれが著しい負担になつた重筋労働であつたとは考えられない。

更に、原告は、当日の作業はこれまでの経験とは異なる著しい血圧昂進を招来した旨主張している。しかし、ブロツクの手降し作業は毎月数回程度行われていたものであるところ、この作業はそもそも荷降し場所が狭い場合に行われるものであるから、原告が主張する事柄は何も本件当日に特有の事柄ではない。しかも、全般的にみて、その作業は格別著しい肉体的、精神的負担を与えるようなものであつたとは到底認められない。

以上のとおり、助義の当日の労働に災害的要因はなく、日常の労働にも過激過重な要因は認められない。原告が血圧昂進の事由として主張する事柄は、いずれも労働者にとつて何らかのストレスとなり得るものか否か、と問われれば、いずれもストレスとなり得るものであることは否定できないものである。原告の主張は、一般的にみて何らかのストレスになり得るにすぎない事柄を、現に過重な負担を与えていたとの評価に直結させる立論であり、あるいは、助義のくも膜下出血はその労働の過大なストレスによつて発症したものであるとの結論を前提にした上での労働の強度の評価といわざるを得ない。

4 その他(原告の後記五6(四)の主張に対する反論)

原告は、使用者である旭運輸は助義の健康状態を十分管理、注意し、精密検査を受けさせるか、業務配置を検討すべきであつたと主張している。しかし、肥満の点、血圧の点などを含む健康管理は本来助義自身の責任に属することであり、精密検査、治療、生活指導などは診察した医師のなすべき事柄である。昭和五四年三月に健康診断をした清水医師は格別の措置をとつたとは思われないから、医師以上のことを使用者に要求するのは到底無理である。

したがつて、原告の右主張は、失当である。

四 被告の主張に対する認否

被告の主張中、冒頭部分の主張は争う。

1(一)(1) 同1(一)(1)の事実は認める。

(2) 同1(一)(2)の事実は認める。

(3) 同1(一)(3)の主張は争う。

(二)(1) 同1(二)(1)の事実中、間知ブロツクの手降ろし作業が助義の日常の業務であつて、発症時の業務が五年間続けられた業務と何ら異るものではなく、全く同一のものであつたことは否認する。その余は認める。

(2) 同1(二)(2)の主張は争う。

(三)(1) 同1(三)(1)の事実は認める。

(2) 同1(三)(2)の主張は争う。

(四)(1) 同1(四)(1)の事実は認める。

(2) 同1(四)(2)の主張は争う。

2 同2の主張は争う。助義の死因はくも膜下出血である。

3(一) 同3(一)の主張は争う。

(二) 同3(二)の主張は争う。

4 同4の主張は争う。

五 原告の反論

助義は、旭運輸における業務により動脈瘤を進展し、破裂させ、その結果くも膜下出血を発症して急性心不全により死亡したものであるから、同人の死亡には業務起因性が認められる。その理由は以下のとおりである。

1 助義の経歴、仕事内容

(一) 助義は、結婚するまでは主として農業に従事していたのであるが、昭和三七年一〇月の結婚の直前数か月は、運送会社で運転助手をし、右結婚後は、大工をしていた。昭和四九年大工をやめて、五月から旭運輸にトラツク運転手として雇用された。

旭運輸ではアイスクリームの運搬を暫くしたが、同年の一一月からクレーン付きの六・五トントラツクによつてコンクリート製品であるU字溝、間知ブロツクを運搬するようになつた。

同人の旭運輸におけるトラツク運送の業務内容、方法は次のとおりである。

〈1〉 午前八時までに旭運輸に出勤し、そこでトラツクのエンジンキーを交付され、専用トラツクを始動させ、旭プレコンに赴き、その朝ごとの旭プレコンによる、品種、個数、搬送先、荷降ろし方法に至る具体的な指示に従つて作業をするものであつた。態様としては派遣労働に属するものであり、具体的な作業内容について、旭運輸から指示を受けることはない。

〈2〉 一日の走行距離は一〇〇キロメートルを超える日がもつとも多く、二〇〇キロメートルを超える日も間々ある。走行区間は概ね長野市以北であつた。搬送回数、搬送先は日々複数であつて、時には五回にも及んでいる。

〈3〉 運転とともに荷の積降ろしの作業をする。荷積みは旭プレコンの担当者が行い、助義は荷の配置の指示をする。送り先での荷降ろしは、U字溝のときは九〇キログラムを超えるのでクレーンで行う。間知ブロツクの場合には、原則としてクレーンを使用してブロツクの乗つたパレツトのまま降ろすが、この場合は助義がアウトリガーの調整、玉掛け作業をしなければならない。

パレツト(乗せ板)を降ろすのに十分な場所がないときは、手作業で一個ずつ降ろすことになる。間知ブロツクの手降ろしの頻度は、別紙一覧表のとおりである。作業場所、時間、態様それぞれ異なり、また当日のブロツクの種別、個数も異なるが、八月末の頃のように短期間に手作業が集中することも、九月の如く、ほぼ一週間に一回という間隔で手作業があるというのも例外である。九月二五日から一〇月二五日まで一か月の間隔があるのに特徴的なように、手作業と次の手作業との間隔は著しく長く、かつ不定である。

(二) 間知ブロツクの手降ろしの方法と内容

トラツクの荷台には最高四パレツト、一二四個のA三ブロツク(一個四七・五キログラム)を積載した。積み方は各パレツトとも合計三一個、三段重ねであつた。最上段の九個のブロツクを持ち上げてトラツク後部の空き部分に移動させておき、車外から両腕でこれを地面に降ろす。二段目ブロツクについては、車外からトラツクのパイプつきあおりに足をかけながら腕でころがすようにして手前に引き寄せてからこれを両手で受けとめるようにして地面に降ろす。最下段部分は右と同様に車外から木製のパレツトの上をすべらせて手元に寄せてから、地面に降ろす。下に降ろした時の積み方は、整列させるものであつて、放り投げるものではない。整列方法はブロツクの平面と凸面とを交互に入換えて積まなければならない。トラツクの荷台面までの高さは空車時で一メートル三一センチ、パレツトは一〇センチの厚さである。手作業の所要時間については、六〇個を降ろすのに三〇分かかる。パレツトはトラツクの荷台に左右対称に積まれるため、片側二個のパレツト分の降ろし作業が済むとトラツクの方向転換をして降ろし易くして他方側を降ろすのが通例である。方向転換をしないときは、他の側のブロツクを手前側に持ち運びしてからでないと降ろせないこととなり、一層の重労働を強いられる。旭運輸の手作業経験従業員には手作業のあつた日は損をしたような気持ちになると考える者もある。また一〇〇メートル競争をした時のような呼吸数、脈拍数、心臓の鼓動に陥るほどの労働強度を示している。

2 助義の健康状態及び健康管理

助義は、旭運輸で定期に行つていた医師による健康診断によつても、特に病気の指摘を受けてはいなかつた。但し身長が一・六二メートルにかかわらず体重が七六キロほどと二年間にわたつて変化せず、「肥満度二六パーセント以上」との指摘を受けていた。血圧は昭和五二年の二月に最高一三〇、最低七〇であつたものが、五三年二月には最高一四〇、最低九〇と変わり、五四年三月には最高一六二、最低九四と最高血圧、最低血圧ともに高い方へ推移している。

とりたてていうほどの病気歴もなく、病気のための休業もない。死亡日前頃にも病気、病状の訴え、「疲れた」というような訴え、もなかつた。

運動としては年に一、二回社内野球チームで試合をしていた。これも娯楽であつた。運動中に不調を訴えたこともない。家庭では手づくりの鉄棒でけん垂をしていたが、ぶら下がりというべき程度、健康のためということであつて、専門的、計画的にやつていたものではない。酒は晩酌をしていた程度であつた。

助義に対しては、医師からも健康管理上の注意を与えられていないし、旭運輸からも血圧管理等にわたる指示を受けたこともない。死亡当日にも不調を訴えた様子はなかつた。

3 死亡当日の作業内容

助義は死亡当日、午前六時四〇分頃に起床し、七時頃に朝食をとり、七時二五分頃に乗用車で自宅を出て、平常どおりに八時頃までには旭運輸に出勤し、専用トラツクに乗換えて旭プレコンに着いている。そしてまずU字溝の蓋を長野県上水内郡信濃町柏原地籍まで、七〇個搬送し、クレーンで荷降ろしをしている。信濃町柏原に到着したのは、九時三〇分頃、この荷降ろしをして帰途についたのは一〇時直前頃、一一時五分前頃に旭プレコンに到着、A三ブロツク一二四個を積んで出発したのは一一時一五分頃、一二時一五分頃にトラツクを停車させて、午後一時二〇分頃まで昼食を兼ねて休みをとり、一時三〇分を廻つた頃に作業現場に到着した。これまでの当日の走行距離は一〇〇キロメートルを超えている。

一〇度くらいの道路勾配のある本件現場で、上手の太平方面にトラツクを向けて停車した。本件現場附近の道路の有効幅員は三・八メートル足らずであつたが、ここに内のり幅二・二六メートルのトラツクを止めたため、他の自動車がトラツクの側方を通過できない状態であつた。

A三ブロツクの手降ろしを開始したが、作業中農協職員である高橋内記が、太平方面へ行くため、自動車で通りかかり、助義は、高橋の求めに応じて、仕事を中断しトラツクを前進させ、上方の広い場所(退避場)で行き違いをしている。

他にも一時四七分頃、太平方面へぬけようとする自動車が下方から通りかかつているが、このときは、助義が前進して、その間に通りがかりの自動車を脇道に待避させ、助義の後退と同時に前進させるという方法によつた。

その後助義は再び作業にとりかかつたが、一時五二分頃に倒れた。倒れるまでに助義は、右のように作業の中断が二度に及んでいるにもかかわらず、合計六四個のブロツクを地上に降ろして積上げていた。しかも、同人は、一二四個の半分である六二個を降ろした後、トラツクの方向転換をしないまま反対側のブロツクの手降ろしに入つており、更にブロツクを抱き上げるという姿勢もとつていた。

4 死体発見状況及び検案

助義は、一時五二分頃三段に地面に降ろされたブロツク上に頭をおき、両足をトラツクのあおりにかけ、斜めにあお向けの姿勢で倒れていた。

医師による同人の死体検案の結果は、右足下腿に擦過傷がみられ、髄液検査によつて大量の純血液を認め、左右両眼球にうつ血点があつたが、特に頭部、頸部等に死因と関係がある所見はないというものであつた。そして、右医師は、「作業中急死」「脳溢血」と判断した。

5 助義の死亡原因

(一) くも膜下出血の病理

くも膜下出血症例中最も多いのが特発性くも膜下出血である。これは外傷によるもの、症候性のものを除いたくも膜下腔にある血管の破裂によつて惹起こされるが、ほとんどすべて脳動脈瘤の破綻によつて生ずると考えて誤りはなく、動脈瘤は、先天的なものと考えられている。すなわち、現在の医学上の説明としては、先天的な中膜の欠損又は形成不全があつて、そこへ血圧が加わることによつて、瘤を形成させ、更に血圧が高まることによつて、瘤を進展させていくというものである。そして、動脈瘤の進展だけではなく破綻についても血圧が重要な原因となる。特に高血圧症の者に至つては、動脈瘤の進行、膨出を促進している。

一日の生活時間中、僅かな部分しか占めていない性交や排便、せき、興奮等の肉体的又は精神的緊張時に発生する例が統計上も三割近くを示し、睡眠中にも発生するが、このように、睡眠中にも発症するのは既に相当に瘤が進展しており、僅かの血圧上昇だけで発症に十分な引金となりえたものと考えるのが相当である。血圧の上昇(一過性上昇)、血管内圧の増大が瘤の破裂を招き、少なくとも破裂しやすくして、発症に決定的な影響を及ぼすというのは定説である。

血圧昂進は次のような過程をたどる。ストレスを受けるとこれが交感神経系と下垂体副腎系に作用し、血量の増加、拍出量の増加、血管系の収縮等を経て、血圧を上昇させる。肉体労働による時、特に重量物を抱えて、力む、力をためるという如き場合には、血管系を収縮させることによつて、血圧を昂進させる。動脈瘤の破綻の時の症状として、くも膜下腔へ出血するため、血性髄液を示す。これはくも膜下出血の診断上最も重要とされる。くも膜下出血の好発年令は四〇歳から五〇歳であつて全体の半数以上を示す。四〇歳台が最高との統計もある。なお一回目の動脈瘤破裂直後の死亡は一〇ないし一五パーセントである。

(二) 助義はくも膜下出血によつて死亡したものと考えるのが相当である。

(1) 助義は、先に述べたように日常の業務としてはトラツク運転手であつて長野北部(山間地)を一〇〇キロメートル以上運転していた。この運転すること自体の労働は次のような特質をもつている。第一は、他の交通者もいる路面走行であるため一瞬も目を離せない連続制御を要する。そして常時新しい環境の中で新しい情報を入れ、必要な操作制御を継続しなければならない。運転そのものが事故の可能性を持つ危険作業である故に、緊急操作も連続して準備していなければならない。こうして、運転者は精神的緊張を長時間連続させなければならないことになる。第二は、運転の継続が操縦のパターンの繰返し的要素を持つことから単調となり心身活動は不活発となり、居眠りを発生し、注意のかたより、不注意を招きやすくしていくことである。運転者はこの単調な状況の中で、これによつて起こる危険を防止していかなければならない。その上、運転義務があり、助手もいないために運転席を離れえず前方監視と機器監視を続けなければならないことから単調な現象を倍加させる。労働の過大負荷とは異質な精神的ストレスを一層強いられる。

助義の運転範囲は長野県須坂市の旭プレコンを起点とする一〇〇から二〇〇キロメートルの走行ということであり、これも複数回の搬送であつたことでわかるように長野県北部、したがつて山間地走行が多かつた。狭路も多いことなど、運転労働によつて日常的にストレスを受けていた。「危険」と直面した時などは、一層強いストレスを受け、一過性の急激な血圧昂進を招いていた。

(2) 助義は、荷降ろしも必ずしなければならない。この時はアウトリガー、玉掛けに細心の注意を払わなければならない。荷崩れ、転倒の事故は、労働基準監督の実務上も多数あり、この作業は監督現場でも「非常に神経を使う作業」とされている。助義は搬送の都度(手作業時は除く)、このストレスの多い仕事をしていたものである。

なお、助義は、高血圧傾向に推移していたが、またこのことがストレスに対して、著しい昇圧反応をもたらしていた。

(3) 助義は、別紙一欄表のとおり手作業で間知ブロツクを降ろしていた。特にA三ブロツクに関しては先に述べた「損をしたような気持ちになる」との訴えにもあらわれるように、こつを覚えたとしても不安定な作業現場で、力をためることが不可欠であることから、血圧の急激な上昇があることは争えない。手作業度は助義の日々の仕事からいつても非常に僅かな回数、時間にすぎないが、右のような重筋労働による一過性の血圧昂進が繰返されていたのである。

(4) 助義は、右のように全生活約三分の一を占めている労働時間の大半を、ストレスを恒常的に受ける運転労働、玉掛け作業で過ごし、急激な一過性の血圧上昇の運転体験を含めて血圧昂進のリスクを負つたうえで、更に重筋労働の負担によつて一層の血圧昂進を繰返していたことになる。

(5) 助義は死亡当日、午前中、柏原で玉掛けを終えている。その後の死亡現場での作業経過はさきに述べたとおりであるが、A三のブロツクを扱うに当たつての特徴は次のとおりである。

まず、短時間に六四個を降ろしていたことである。一〇〇キロメートルの走行をしたのち、午後一時半過ぎに荷降ろし現場に到着し、その後、二回の行き違い操作を挟んで、午後一時五二分頃までの間に右作業をしているわけである。

行き違い車があつたことは助義に過大なストレスを与えている。「早く作業を終えていなければまた車が来るかもしれない」という不安、あせりである。この精神的負担をうける一方、実際に右のとおり仕事を急いだわけである。真面目である故に一層この負担も大きかつた。急がなければならなかつたことは助義が半分(六二個)を降ろし終えているにもかかわらず、トラツクの向きをかえていないことからもうかがい知ることができる。向きをかえないときは、既に述べたようにブロツクを持ち上げて運ぶ回数が増加して、重労働を倍加するが、早く終わらせたい一心から、これを嫌い、方向転換をする精神的ゆとりもなかつたのである。

密度が非常に濃い上にその作業内容そのものが著しい重労働であつた。このブロツクを降ろすとき、助義の身長に比し、荷台が高いため特に荷台の中心側にあつた二段目のブロツクを手前に引寄せ、あるいは転がして寄せるには相当の力を加えなければならなかつた。また、最下段のブロツクを手前に引寄せるにも、パレツトは木製であり荷台に固定して置かれるものでもないため、すべらせようとしてもその全部についてまでスムーズにできるわけではなかつた。パイプあおりに足をかけても同じであつた。また作業空間が狭く労働姿勢に影響を及ぼし、またストレスを負荷していたと推定される。血圧昂進も著しかつた。加えて既に地面に積んだブロツクに足をかけてそこへ更に積重ねる作業場面では足元が固定しているわけではないので、やはり下半身の緊張(従つて循環系の縮小)、したがつてまた血圧昂進を招いている。

死亡当日、手作業はこのように、〈1〉それまで経験した、「重量物である」「不安定な足場」「力をためて仕事をする」「荷台が高い」等々の一般的な作業特色(これだけで著しい血圧昂進がある)に加え、〈2〉「早くやらなければ」とのストレスを受けつつ、〈3〉狭い場所で実際に著しく作業速度、密度を高めていたと特徴づけることができる。こうして、これまで経験したとは全く異なる血圧昂進を招いていたのである。

(6) その他

〈1〉 死体検索でも純血の髄液が認められた。

〈2〉 助義の年令はくも膜下出血の好発年令に合致している。

〈3〉 脳内出血については従来の医学常識からして原則として高血圧症の存在を前提とするが、助義は高血圧症にまでは至つていなかつた。また、病歴も不調を訴えていたこともなかつた。

かくして、助義は死亡当日、著しい血圧昂進を招き、それによつて既に存在していた動脈瘤を著しく増悪させ、くも膜下出血を起こしたと考えるのが相当である。

6 業務起因性の有無

助義は業務上死亡したものである。理由は以下のとおりである。

(一) 既に述べたように、助義は平常の労働そのものがストレスを受けやすい運転労働であつた。この平常運転そのものがストレスを受けやすい特色を持つ上に、緊急行動時、異常時の対処、すなわち、「ハツ」とすること等によつてもストレスを受けていた。このような運転労働と玉かけ作業の日常的繰返しの中で一過性の血圧昂進を繰返していた。したがつてこの労働が動脈瘤の進展に相当な影響を及ぼしていたと考えるのが相当である。

(二) ブロツクの手降ろし作業が一過性のものではあるが著しい血圧昂進を伴うことは先に述べた。日常生活ではおよそ経験することのない重筋労働を、平常業務に比べるとわずかな回数ではあるが繰返し体験していた。したがつて、この労働も助義の動脈瘤の進展に影響を及ぼしていた。

(三) ところで、助義は、死亡当日も、柏原での玉掛けを終え、一〇〇キロメートルを走行のうえ狭路を運転して来てブロツクの手降ろしをしたわけである。〈1〉手降ろしが重筋労働であることに加え、当日はこの重筋労働を著しく急がなければならない状況の中で、〈2〉急がなければならないという心理的ストレスを受けながら、〈3〉実際に著しく急いで、その労働密度と苦痛を高めていたのである。そして、更に〈4〉本件トラツクの方向転換によつてより容易におろせるはずであつたブロツクを、持上げ運ぶという強い労働負担を行つた。助義の右に要約した「業務」が著しい血圧昂進を招き、動脈瘤の破綻の共働原因をつくつていたことはもはや明白なことである。共働原因あるいは、相対的に有力な原因の程度を越えて、「絶対的に有力な原因」とも評すべきである。

(四) ところで、業務起因性を考えるについては、使用者による健康管理状況についても考慮するのが相当であつて、高血圧症に罹患していることが判明した労働者について何らの健康上の配慮をせずして高血圧症を増悪させるような業務を遂行させた結果災害が発生した時は業務起因性を肯定すべきである。助義は肥満のうえ、高血圧傾向に推移していた。加えて、「やや心肥大」とも告げられていた。これは使用者が十分管理、注意し、精密検査を受けさせるか、業務配置を検討すべき事由である。ところが、旭運輸は、助義の健康診断結果に意を用いることなく、漫然と運転労働はもちろんのこと、ブロツク降ろしの重筋労働をさせていたものであつた。特に、労働実態が派遣労働であつたため、旭運輸は、助義の日々の健康状態についても労働内容についても無頓着であつたのである。助義について、血圧昂進から離れ得る作業の配慮をしていたならば本件の死亡事故は避けえたのではないかと推測できる。

第三証拠 <略>

理由

一 原告の亡夫助義(昭和一二年二月六日生)が昭和四九年五月七日から旭運輸に運搬作業員として就労していたところ、昭和五四年一一月一二日、長野県飯山市大字旭四二一五番地附近路上(本件現場)において、六・五トントラツクから四七・五キログラムの間知ブロツクを積降ろす作業に従事中、倒れ、同日午後二時頃急性心不全により死亡したこと、並びに原告は助義の妻で助義の死亡当時その収入によつて生計を維持していたものであり、助義の死亡は業務上の事由によるものであるとして、被告に対し労災法一二条の八第一項に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告は、昭和五五年五月二九日、助義の死亡は業務上のものではないとして、右遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとの処分(本件不支給処分)をなしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二 そこで、助義の死亡が業務上の事由によるものであるか否かについて判断する。

1 <証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 助義の職歴及び従事していた業務

助義(昭和一二年二月六日生)は、昭和二七年三月小布施中学校を卒業後、昭和三〇年一二月二〇日大型自動車免許(第一種免許)を取得し、昭和二七年三月一日から同年五月一一日まで北信陸送株式会社において運転助手として就労し、同年一〇月頃からは大工業に従事していた。

助義は、昭和四九年五月七日から旭運輸に運搬作業員として就労し、当初二トントラツクを運転して明治乳業株式会社長野工場のアイスクリーム配達業務に従事していたが、同年一一月下旬頃、助義の申出に基づき、旭プレコンに派遣されてクレーン付きの六・五トントラツクを使用しての、間知ブロツク、U字溝など旭プレコン製品の運搬業務に従事するようになつた。

助義は、旭運輸に午前八時から午後五時まで勤務するものとされていたが、実際は、旭運輸には専用トラツクの受取返還の折に立寄るだけで、派遣先である旭プレコンによつて品種、個数、搬送先、荷降ろし方法等が指示され、右指示に基いて搬送作業をすることとなつていた。一日の走行距離はおおよそ一〇〇キロメートル余であり、搬送回数は平均二ないし三回位であつた。

(二) 間知ブロツクの荷降ろし方法

運搬物が間知ブロツクの場合、積込みは旭プレコンの担当者が、荷降ろしは運転手がそれぞれなし、右荷降ろしは原則としてクレーンを用いていたけれども、例外として、積降ろし場所に間知ブロツクを乗せたパレツト(乗せ板)を降ろす余裕がないときは、手作業でなされることとなる。

手作業で間知ブロツクを降ろす方法は、当該作業者の裁量に委ねられているが、本件が該当する間知ブロツクA型(四七・五キログラム)一二四個の荷降ろしの通常の手順は次のとおりである。

〈1〉 作業者は、トラツクの荷台に上がり、下から一二個、一〇個、九個の三段合計三一個積みのパレツト四個のうち荷台後方にある荷降ろし側のパレツトの三段目の間知ブロツク九個を可能な限り荷台後部の空いている部分に移動させる。

〈2〉 作業者は、下げてあるトラツクのアオリの継ぎパイプに片足をかけ、他の片足は地上につけて、ふんばるような姿勢で片手を伸ばして、右〈1〉の九個の間知ブロツクを、一個一個手前に引寄せ、一個ずつ両手でかかえるようにして腰で受けとめながら、間知ブロツクの重量による反動を利用して地上に降ろし、ブロツクの平面部分を横にして一列に並べる。

〈3〉 二段目も同じような姿勢と方法で平面部分に手をかけて間知ブロツクを荷台の端までころがすようにして手前に引寄せ、地上に降ろす。

〈4〉 一段目は平面部分が下になつているので、そのまま荷台の端に引寄せ、二段目を降ろすときと同じ方法で地上に降ろす。

〈5〉 二段目、一段目の作業に当たつては降ろした間知ブロツクの上に片足をおけて荷降ろしをすることが多いが、作業者の判断で適宜その場に適した能率的な方法がとられている。また、アオリの継ぎパイプに両足をかけて手前に引寄せることもある。

〈6〉 荷降ろし場所の関係で間知ブロツクを一列に並べることができないときは、初めに地上に降ろした間知ブロツクの上に、二段目として平面を横にし一段目とは逆の向きで上に載せる。三段目は一段目と同じ向きで二段目の上に載せる。

〈7〉 荷台反対側の間知ブロツクを降ろすときは、トラツクを方向転換させて、〈1〉以下と同じ作業手順によつて降ろすことになる。

右の手作業の所要時間のめやすは、概ね三〇分間に六〇個であるが、上達者は、より迅速にできる。

右の手作業は重筋労働に属し、この作業になじんでいない者の中には一〇〇メートル競争をしたときのような呼吸、脈拍、心臓の鼓動となる者もあるが、習熟者には、血圧、呼吸を余り乱さない者もいる。

(三) 右手作業の頻度など旭プレコンの製品搬送に従事していた者が現実に間知ブロツクを手降ろしした頻度はまるまる一か月ないこともあれば、月間八回ということもあり、一日のうちに一回のことも二回のこともあるというように一定していなかつた。また、取扱うブロツクの種別、重量、一回当たりの搬送量も一定していなかつた。

助義の昭和五四年度の手作業日及び扱つたブロツクの種別は、別紙一覧表のとおりである。

(四) 昭和五四年当時における助義の勤務状況及び健康状態

(1) 昭和五四年一月から同年一一月一二日までの間、暦日三一六日のうち、公休が五八日、年次有給休暇が六日であり、出勤は二五二日である。時間外労働は、右二五二日のうち、二時間を超過するもの二日、一時間三〇分を超過し、二時間以内のもの四日、一時間を超過し、一時間三〇分以内のもの八日、三〇分を超過し一時間以内のもの二七日、三〇分以内のもの九二日である。

(2) 昭和五四年三月二七日の定期健康診断の結果は、「体格栄養良好、稍々肥満(身長一六二センチメートル、体重七六キログラム)、尿所見なし、胸部エツクス線検査で軽度の心肥大、血圧測定検査で一六二ないし九四(作業直後)、作業時及び作業直後の心悸亢進なし、その他聴打診上異常も自覚症状もない。」であつた。また、病気、病状の訴えも疲労などの訴えもなかつた。晩酌として日本酒を毎日一合五勺位飲み、煙草は一日当り一箱(わかば二〇本入)であつた。

(五) 死亡当日の経過

(1) 助義は、昭和五四年一一月一二日、普段と変らずに自宅を出て、午前八時頃旭運輸に出勤し、専用のクレーン付六・五トントラツクを運転して午前八時一五分頃、旭プレコンに到着した。そして、午前八時四〇分頃、U字溝の蓋七〇個を長野県上水内郡信濃町柏原地籍まで搬送し、クレーンで荷降ろしをし、午前一〇時五五分頃、旭プレコンに一旦戻つた。

(2) 助義は、荷台に、旭プレコンの担当者によつてA三ブロツク(四七・五キログラム)一二四個が四パレツト、左右対象に積込まれた前記トラツクを運転し、午前一一時一五分頃、長野県飯山市大字旭四二一五番地附近路上(本件現場)に向けて出発した。助義は、途中午前一二時一五分頃から午後一時二〇分頃までの間昼食休みをとり、午後一時三〇分頃、本件現場に到着した。本件現場は、一〇度位の道路勾配があり、上手の大平方向にトラツク前部を向け、山側寄りに停車した。トラツクは、その荷台の内のり幅が二・二六メートル位であつたところ、本件現場は有効幅員三・八メートルの道路で狭く、他の自動車が側方を通り抜けることが不能であつたし、また、荷降ろしにクレーンを用いることができず手作業に頼らざるをえない状況にあつた。

(3) 助義は、本件現場に到着すると、手作業による間知ブロツクの荷降ろしを開始したが、その直後他の自動車に本件現場を通過させるため、右作業を中止し、上方の退避場所までトラツクを移動させ、再び本件現場まで下つた。午後一時三六分頃再び作業に入つた。午後一時四七分頃、他の自動車を通過させるため再度作業が中断された。助義は、通常の作業手順により前記間知ブロツク一二四個のうち、山側に積まれていた分の六二個を降ろし終つたのち、急いでいたためか、適当な方向転換の空地が見当たらなかつたためかは判然としないが、通常ならトラツクの向きを逆にしてブロツクの積まれている荷台の側を荷降ろし場所に近くするのに、トラツクを上手の大平方面へ向けたままで、荷台谷側に積まれた六二個の間知ブロツクを一つ一つ抱きかかえて荷台山側へ移してから地上へ降ろす方法により降ろし始めた。ところが、午後一時五二分頃、三個目のブロツクを抱きかかえて山側へ移動させている途中で倒れ、右足はトラツクの荷台の上でブロツクの下敷に、上半身は地上に三段積み上げられていたブロツクの上にあお向けになつた状態となり、午後二時頃、急性心不全により死亡した(急性心不全の原因となる疾病については争いがあるので、後に検討する。)。

(4) 医師荻野文雄による死体検案の結果は、右足下腿に擦過傷があり、髄液検査によつて大量の純血液が認められ、左右両眼球にうつ血点があつたが、頭部、頸部等に死因と関係のある所見はないというものであつた。同医師は、脳溢血に基づく急性心不全により死亡したとの診断を下した。なお、死因を調べるための死体解剖はされなかつた。

(5) 助義の死亡当日の本件現場附近の天候は、曇一時雨後晴、気温は午後一時の時点で摂氏一五・四度を若干下回る程度であつた。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2 助義の死因について検討する。

<証拠略>によると、医師荻野文雄は、昭和五五年三月一七日付被告に対する意見書において、「急性心不全の原因は脳溢血である。心不全を起こし、短時間で死亡する場合は脳の大血管損傷が大部分である。後頭穿刺時純血が多量に出たのでこれを証明できる。高血圧、心肥大が合併することが多いが、助義は従前の健康診断で高血圧(血圧測定値一六二ないし九四)と心肥大を指摘されている点も一致する。」との判断を示していることが認められ、<証拠略>によると、医師草間昌三は、同年四月二八日付被告に対する意見書において、「死因は荻野医師の診断所見により、脳出血によるものと認められる。」との判断を示していることが認められる。しかしながら、証人井口寛次(医療法人研究会諏訪湖畔病院理事長・医師)は、「くも膜下出血の場合髄液が血性であるのに対し、脳出血の場合髄液が血性又は黄色調であるところ、本件では後頭窩穿刺によつて血性髄液が認められること、くも膜下出血が割合若年に多いことなどから、急性心不全の原因は、くも膜下出血の方が圧倒的に根拠があるが、脳出血の可能性も否定できない。」と述べ、証人田尻俊一郎(西淀病院副院長・医師)は、「急性心不全の原因は、くも膜下出血の可能性が強く疑われるのに対し、脳出血の可能性はうすい。その理由として、〈1〉後頭窩穿刺によつて大量の血性髄液が認められる場合、まず疑われるのはくも膜下出血である。脳内出血の場合髄液は通常黄色であり、大量の血性髄液が見られるのはごく例外である。〈2〉助義の死亡時の年齢は四二歳である。ところで、発症年齢について、脳内出血が五〇歳以降が多いのに対し、くも膜下出血は二〇歳から見られ、四〇歳代が最も多い。〈3〉助義の場合、高血圧といつても程度が軽く、死亡時までの期間も短い。」と述べている。

右のように、助義の直接の死因たる急性心不全の原因について、医師の意見または証言は、必ずしも一致しないが、これは解剖所見がない以上当然のことであつて、当裁判所は、右の意見及び証言並びに前記認定の助義の急死に至る経過等を総合して、助義の直接の死因たる急性心不全の原因はくも膜下出血(以下「本件疾病」という。)と推認する。

3 次に、本件疾病の発症が助義の従事した業務に起因するものかについて検討する。

<証拠略>に前記助義の急性死に至る経過等を総合すると、助義の直接の死因たる急性心不全の原因である本件疾病は、くも膜下出血を更に分類した場合、くも膜下腔にある血管の破裂の原因が、外傷や症候性のものでなく、医学的に解明されていない特発性くも膜下出血に属する蓋然性が高いところ、特発性くも膜下出血は、脳動脈瘤の破綻によつて生ずるが、その脳動脈瘤の形成、進展、破綻の誘発原因は、肉体的運動、精神的緊張等に基づく一過性の血圧亢進であり、右のような誘発原因のない自然破綻は、動脈瘤が相当程度進展している場合生起するものであることが認められる。

ところで、助義の本件疾病(特発性くも膜下出血)が業務に基づいて発症したものと判定されるためには、その業務と疾病との間に相当因果関係がなければならず、相当因果関係があるというためには、業務と疾病の間に条件関係があるだけでは足りず、当該疾病の原因のうち業務が相対的に有力な原因であることを要し、かつこれで十分であつて、業務が最も有力な原因であることまでは必要でないと解すべきである。

これを本件についてみるに、前記認定の助義の急性死亡に至る経過、右認定の本件疾病の特質に証人田尻俊一郎の証言を総合すると、助義が従事していた間知ブロツクの手降ろし作業は重筋労働の性質を有し、一般の労働に比し過重であり、血圧の亢進を招き易いものであること、助義は、死亡するまでの直前五年近くにわたり、右の手降ろし作業を包含する業務に従事してきたとはいえ、その頻度、回数からいつて、手降ろし作業について熟練や慣行化までは見られず、平素の業務は、トラツクの運転とクレーンを使用した荷降ろしを主とする技術労働の性質を有するものであつたこと、当日助義が本件現場でした平常より密度の高い作業と平常より過重な負担のかかる間知ブロツクの手降ろし法は優に一過性の血圧亢進の誘因たりうることが認められるから、本件現場における間知ブロツクの手降ろし作業により助義に一過性の血圧亢進が生じ、これによつてかねて形成されていた脳動脈瘤が破綻し、本件疾病の発症に至つたもので、これまで認定してきた、かねて助義が従事してきた業務の内容、同人の勤務状態、健康状態等から想定される本件疾病のいくつかの原因、素因のうち、助義の死亡直前における本件現場での業務の遂行が、相対的に有力な原因の一つであると認めることができる。

そうすると、助義の業務と本件疾病との間には相当因果関係があり、本件疾病らは業務起因性を認めることができるというべきである。なお、本件にあつては、助義に脳動脈瘤の形成があつたこともまた相対的に有力な原因の一つで、本件疾病につき前記業務の遂行と共働原因となつていることは明らかであるが、このような共働する原因の存在は、相当因果関係を肯定するにつきなんら妨げとならない。

4 してみると、助義の本件疾病が業務上の事由によるものでないとした被告の本件不支給処分は違法というほかない。

三 以上の次第で、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 秋元隆男 辻次郎 岡田信)

別紙一覧表 <略>

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